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醍醐村(だいごむら)は、かつて富山県西砺波郡に存在していた村。1954年1月15日、西砺波郡戸出町と合併。現在は高岡市の一部となっている。この項目では、現在の醍醐地区(だいごちく)という地域についても解説する。
沿革
- 1889年6月6日 - 村制施行。油屋(あぶらや)、横越(よこごし)、後正寺(こうしょうじ)、須田(すだ)、横越新(よこごししん)、六ケ新(ろっかしん)、夏住(なつずみ)の7村及び荒屋(あらや)の一部、江尻(えじり)の一部の合併により醍醐村成立。
- 1954年1月15日 - 戸出町、北般若村、是戸村と共に、戸出町へ新設合併。
概要
- 庄川扇状地扇端部である海抜26m地帯が地域中央を東西に横切っている。
- 扇状地扇端部として水が容易に得られる地点が結ばれ、古くから旅人に利用されてきた中世からの北陸本街道が地域中央を東西に横断している。
- 砺波平野で一般的な散居村がおおむね全般でで見られるが、地域北部の須田、後正寺、地区中心部の横越下では塊村・集村形態もみられる。これにも庄川扇状地が関係している。地域南側はどこでも水が容易に得られる湿田地域であったため散居村が成立した。北側は用水を利用した乾田であった。近代に灌漑整備がなされるまで、北と南とでは田園風景の様相は全く異なっていた。
- 住居表示上の地名は旧村域全てが高岡市醍醐となっている。
地名の由来
- 醍醐村の村名は、須田村の長念寺16代住職南木恵雄が名付けた。
- 当時、この地は乳牛の飼育が盛んであった。牛乳の味のことを「醍醐味」ということにちなみ、村の更なる発展を願い名付けたとされる。
- また、横越の素戔鳴神社境内にある延元杉と呼ばれる巨木が延元年間(後醍醐天皇の御代)に能登国より移植されたものであったという伝承や、醍醐の里(京都市伏見区醍醐)から流れ着いた山伏が油屋に八幡社を鎮座したからという伝承もあり(油屋村八幡社は明治44年に羽村菅原社と合祀、現在の油屋気比神社)、村名決定の際に考慮された可能性もある。
- 長念寺は鎌倉時代以前に山伏が建立した寺が起源であると伝えられており、京都の古刹醍醐寺の存在も住職の頭を過ぎったのかもしれない。長念寺は南北朝時代に綽如がこの地を訪れた際に浄土真宗へ改宗し現在まで至っている。
- 南木恵雄は長念寺に寺子屋を開き、学制発布後の1873年(明治6年)9月22日に醍醐で最初の学校となる掇英(てつえい)小学校を設立した。明治維新前後の時代の地域教育に尽くし、地域住民からの信頼が篤かったため新たな村名を決めるという重要な役割を任された。1899年(明治32年)3月には南木恵雄住職を顕彰する碑が建てられている。
観光
関連項目