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HANAMOKU Wikipedia - フリー百科事典

菅原文太

菅原 文太
生年月日 1933年8月16日(76歳)
民族 日本人
血液型 O
ジャンル 俳優声優
活動期間 1958年-
主な作品
仁義なき戦い』シリーズ
トラック野郎』シリーズ
太陽を盗んだ男
千と千尋の神隠し

菅原 文太すがわら ぶんた 1933年8月16日 - )は、宮城県仙台市出身の俳優。1970年代の日本映画を代表するトップスター。

長男は菅原加織。他に娘が二人いる。妻の文子はマネージャーを務めている。ファンからは「文太兄い」と呼ばれ、かつての映画仲間からの愛称は「文ちゃん」である。

目次

経歴

宮城県仙台第一高等学校から早稲田大学第二文学部へ進学。大学退学後は雑誌のモデル等、様々な職種を経験。1958年に喫茶店で新東宝の宣伝部員にスカウトされ、映画『白線秘密地帯』でデビュー。

長身の新人二枚目スターの一団ハンサムタワーズの一人として、吉田輝雄高宮敬二寺島達夫らと共に同社の看板役者となったが、当時の新東宝は経営不振で低予算映画が主力路線だったため、世間的な知名度は高くなかった。

1961年に新東宝が倒産したため、ハンサムタワーズのメンバーと共に松竹へ移籍。ホームドラマが多い松竹では脇役ばかりで辛酸を舐める(だが、後年、『香華』など菅原の出演映画もある松竹の映画監督・木下惠介の葬儀には参列している)。

松竹にいた俳優の安藤昇に勧められ、ハンサムタワーズのメンバーと共に1967年東映へ移籍。当時、既に不況だった日本映画界において東映は最も観客を集めている映画会社であり、凄みのある俳優を求めていた。セリフのほとんどない役からスタートしたが、1969年には東映初の主役として『現代やくざ 与太者の掟』に出演。この『現代やくざ』シリーズは1972年まで続く作品群で、ヤクザを美化した従来の任侠映画の常識を覆す現実的なワルを主人公にしたものであり、後の生々しい実録映画の先駆けとなった。続いて同年より『関東テキヤ一家』シリーズ、1971年よりコメディ『まむしの兄弟』シリーズ、1972年には『木枯し紋次郎』に主演。

1973年から始まる『仁義なき戦い』シリーズで菅原は一躍、映画史に残るスーパースターになった。1974年末より始まる『新・仁義なき戦い』シリーズも大ヒット。1975年に始まるコメディ『トラック野郎』シリーズ(一番星・星桃次郎 役)も大ヒットで名実共に東映のエースとなり、1970年代映画界のドル箱スターとなった。

1980年にNHK大河ドラマ獅子の時代』に主演するためしばらく映画界を離れる。これにより盆と正月の風物詩であった東映の看板映画「トラック野郎」シリーズも終焉。1981年に2本の映画に主演。その後は、TVで刑事物等の連続ドラマの主演をこなしていった。

1998年頃に岐阜県飛騨地方に移住。近年は農業政策等に高い関心を示し、多数の講演活動も行っている。近年はアニメ声優もこなすなど、幅広く活躍。

2001年に長男の菅原加織を事故で亡くし、周囲に「もう仕事したくない」と漏らしていたが、2003年公開の映画、『わたしのグランパ』で復活。9年ぶりの主演を果たす。

人物

  • 父親としての一見を持ち「げんこつおやじの会」を立ち上げた。
  • 三船敏郎を尊敬し、「富士山のような存在」と賞賛している。
  • 酒豪で、親友の川地民夫は彼の酒の強さに閉口したらしい。2003年に『SMAP×SMAP』の「ビストロSMAP」に出演した際も中居正広とのトークそこそこに焼酎をあおり続け、肝心の映画『わたしのグランパ』の宣伝をほったらかしにする酔態を見せ付けた。中居から「もう文太さん、酒臭すぎますよ」と注意され、「映ってるか?ああ、顔真っ赤だな!かあちゃんに怒られちゃう…」と本人も反省していた。
  • 仁義なき戦い』シリーズで菅原のドスの効いた広島弁が、あまりにも堂に入ってうまかったため、菅原を広島出身だと思い込んでいる人も多いほど。『仁義なき戦い』他、数々の映画で共に仕事した映画監督・深作欣二の臨終を、深作の親族以外で看取った唯一の人物であり、葬儀では弔辞を読んだ。
  • バラエティ番組には4~5年に一回出るほどだが、『8時だョ!全員集合』に出演した事もあり、長寿番組『ダウンタウンDX』には第1回目にゲスト出演した。最近では2006年の『クイズ$ミリオネア』に、田中康夫のサポーターとして出演している。
  • 1989年平成元年)11月21日、NHKホールから公開生放送の歌番組『NHK歌謡パレード』(NHK総合、火曜20時~)に出演し、『港の男歌』を熱唱した。
  • さんまのまんまにゲスト出演した時には、『仁義なき戦い』公開直後、菅原の自宅に少年が訪ねて来て「おやじさん、山守は絶対、俺が撃ってきますけん」と言うので「ありがとう、まあ、ラーメンでも食いに行こう」と連れ出して説得して帰ってもらった、というエピソードを披露した。
  • 若い女性ばかり多用する21世紀現在の日本の芸能、マスメディアの風潮を軽薄なものとして苦言を呈しており、そのために断る仕事も多いという(『新潮45』1994年8月号による)。
  • 現在も活躍する内外の多くの有名人に多大な影響を与え続け、俳優の宇梶剛士プロレスラー新崎人生は元付き人だった。またタレントの明石家さんまは自他ともに認める菅原の大ファン。『仁義なき戦い』第一部の土居組組長を射殺するシーンが特に好きで、冷たい雨の中、肩をすぼめて眉間に皺を寄せ、煙草を吹かし標的を待つシーンをよく真似た、と語っている。「高校時代『夜桜銀二』と呼ばれてたんですよ」と菅原本人にウソを付いた事も。まだ若手だった頃に空港で菅原に会い、サインを頼んだところ「俺が代わりに欲しいくらいだよ」と言われた話は、後年さんまによって何回も披露されている。ビートたけしはその話を「百回以上聞いた」と話している。
  • 2005年衆議院議員総選挙では広島6区に出馬した国民新党亀井静香の応援に登場。亀井の唱える農業政策等に支持し、同じく広島6区に出馬した対立候補の堀江貴文を批判。「向こう(堀江陣営)は仁義なき戦いをしているが、こちらは仁義ある戦いをしましょう」と亀井を激励した。その甲斐あってか、亀井は堀江を破って当選を果たした。この選挙区は広島のやくざ抗争を描いた菅原の主演作『仁義なき戦い』の第二作副題になぞらえて「広島死闘篇」と呼ばれた。

出演作品

映画

TV

ビデオ

  • 復讐は俺がやる・Distant Justice(1992年)
  • ビッグボス(1992年)
  • 実録 広島やくざ戦争(2000年)
  • 実録 広島やくざ戦争 完結篇(2000年)
  • 日本抗争列島 牙の如く(2001年)

声の出演

CM

ラジオ

  • 一番星ブルース
  • やくざ道入門
  • 眠れ都会よ(1981年 『警視庁殺人課』エンディングテーマ)

関連項目


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