武田豊樹
武田 豊樹(たけだ とよき、1974年1月9日-)は競輪選手。元スピードスケート選手。北海道斜里郡斜里町出身。釧路緑ヶ岡高等学校(現・武修館高等学校)卒業。身長177cm、体重78kg→85kg。
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スピードスケート選手として
高校時代は同学年で後に長野オリンピック500m金メダリストとなる清水宏保よりも好成績を収める。高校卒業後に王子製紙スケート部に入部するも伸び悩み、競輪の選手を目指すために現役を一時引退し同スケート部を退部したが、競輪のトレーニング中に、オフの自転車トレーニング中の清水と再会し、一緒に練習したことによりスピードスケートへの想いが徐々に沸きあがり、1998年に現役復帰(所属は橋本聖子が設立した「セイコ・ハシモト・インターナショナル(SHI)」)。
清水と一緒に練習することで成績が向上し、ソルトレークシティオリンピックの代表に選ばれる。初めてのオリンピックとなるソルトレークシティ大会では500m8位、1000m16位に終わる。同オリンピック後、競輪選手への転向を表明した。
競輪選手として
日本競輪学校へは植松仁に次いで二人目となる異種目からの特別選抜入試により合格し、卒業後は日本競輪選手会茨城支部所属の選手として本拠地を取手競輪場に据え、十文字貴信の師匠にあたる川村恵三に弟子入りした。
2003年7月4日に立川競輪場でデビューを果たし、初出走で初勝利も挙げたが、その2日後落車による骨折の憂き目を味わう。しかしケガからの復帰後は快進撃を続け、デビューから約半年後の2005年1月13日にはA級3班からS級2班へ史上最速の特別昇級を果たしている。その後は一気に競輪界のトップクラスに位置する選手となり、同年に最高峰レースのKEIRINグランプリへも出場した(3着)。
2007年現在特別競輪などの優勝経験はないが、デビュー前から現在までの実績などが認められ、2006年から1年間ほど競輪のテレビCMにメインの選手として出演していた。なおデビュー後一時期までスピードスケートとの両立も考えていたようだが、競輪選手として専念するようになった。
なお2007年にデビューした元スピードスケート選手の牛山貴広に対し、師匠として指導を行っている。
競走スタイル
群を抜く豊富なスタミナとトップスピードを誇る先行選手として活躍しており、実力は競輪界有数の存在と目されている。ただし選手としての経験が浅いためか展開的な不利を招くことが多く、その点の克服が課題となっている。