旅順口区
| 中華人民共和国 遼寧省 旅順口区 | |
| 国家 | 中華人民共和国 |
| 省 | 遼寧 |
|---|---|
| 副省級市 | 大連市 |
| 行政級別 | 市轄区 |
| 面積 | |
| - 総面積 | 506.80 km² |
| 人口 | |
| - 総人口(2003) | 21 万人 |
| 経済 | |
| 電話番号 | 024 |
| 郵便番号 | 116041 |
| 行政区画代碼 | 210212 |
| 官方ウェブサイト: http://www.dllsk.gov.cn | |
旅順口区(りょじゅんこうく、簡体字: 旅顺口、拼音: Lǚshùnkǒu:リューシュンコウ)は中華人民共和国遼寧省大連市に位置する市轄区。遼東半島の最西部(突端部)にあり、天然の良港として知られて、かつては軍港都市であり、現在は大連市に編入されている。区人民政府の所在地はは新城大街1号にある。大連市内からは45㎞の距離で、国家級風景名勝区、国家級自然保護区に指定されている。陸地面積506.8平方km、海岸線の長さは169.7㎞。
目次 |
歴史
近代に入るまで、目立った歴史は記されていない。1858年から1860年まで戦われたアヘン戦争時、イギリス海軍のアーサー中尉指揮するフリゲートが寄港したことで、ポート・アーサー(Port Arthur, Порт-Артур)の名称が欧米に知られるようになった。
もともとは人家も疎らな寂しい漁村であったが1878年に清の北洋艦隊の根拠地となり町ができる。日清戦争中の1895年には日本陸軍に占領された。この際、複数の欧米のジャーナリストによって、日本軍が行った旅順虐殺事件が報道され、国際問題となった。下関条約で旅順を含む遼東半島は日本に割譲されることに決まったが、三国干渉によって中止となる。1900年の北清事変ののち、ロシアの租借地となり、ロシア海軍の東洋艦隊の根拠地として、軍港・要塞として開発され人口1万人を超える都市となった。
日露戦争においては日本軍による旅順港閉塞作戦及び旅順攻囲戦が起こった。市郊外の丘陵である203高地などでの激戦の末、最終的に日本軍が莫大な損害の後に勝利し、1905年1月に旅順を占領し、旅順北郊外の水師営で停戦条約に調印し、乃木将軍とステッセル将軍が会見している。日本は同年のポーツマス条約において清に対する租借権を正式にロシアから引き継いだ。はじめ旅順には関東都督府が置かれ、その後大連へ関東州の諸施設が移るに従い、旅順は日本の軍事的拠点となり、龍河・旅順駅・白玉山一帯をはさんで東の旧市街と西の新市街は大いに発展した。
第二次世界大戦末期の1945年、ソ連軍が侵攻し旅順を占領したのちは、ソ連海軍の太平洋艦隊の軍港として中華民国に認めさせた。1950年に隣接する大連と金州と合併、旅大市となり、1955年に中華人民共和国に返還される。1981年に現在の市名である大連に改称され、大連市旅順口区となった。
現状
現在、旅順口区は506平方キロの面積を持ち、21万人の人口がいる。大連は中国の改革開放路線のトップランナーとして重要な国際都市であるが、旅順口区は中国海軍の重要な軍港のため、区の中心市街区・軍港のまわり・老鉄山などは外国人の立ち入りが規制されている。一方、203高地や水師営会見所(旅順攻囲戦のあと停戦条約を結ばれ、ロシア軍のステッセル司令官と日本軍の乃木希典大将が会見した場所)などは観光地として開放され、日本人観光客も訪れている。
また、大谷探検隊の成果も多く収容する旅順博物館、日露戦争跡地の東鶏冠山、伊藤博文を暗殺した安重根が死刑前に収容されていた部屋もある日露監獄などは、旅行業者を通して許可を得れば訪問できる。ただし、旅順軍港を眼下に見下ろす白玉山(白玉塔=日露戦争勝利記念塔がある)、もと旅順高校(現・海軍司令部)、もと旅順工科大学(現・海軍病院)、そこで「北帰行」が作曲されたという伝説の黄金山・黄金山海岸海水浴場などへの訪問許可は、難しいといわれている。
こうした制限下の旅順口区にも、21世紀に入り新しい息吹が感じられ、渤海に面した和平公園が新しい観光地としてデビューし、またその北には旅順開発区や大連交通大学の軟件学院が設立され、日本人も日本語会話教師として勤めるようになった。さらに2007年には、白銀山トンネルの東側の旅順南路沿いに北に大連外国語学院、南に大連医科大学の本科(4年生学部)が引っ越すようになり、今後大連市街区の大学を全て徐々に旅順口区へ移すような政策も始まっている。
旅順口区鉄山街道尹家村には中国には珍しい露天風呂のある老鉄山温泉がある。[1]
おもな施設の新旧名称
旅順の外国人への解放も間近かといわれ、日本・ロシア・韓国(安重根が処刑された日ロ監獄を訪れる韓国人も多い)などからの外国人の訪問も増えているので、旅順のおもな施設について各時代に於ける名称を記すと、
| ロシア領有時代 | 日本領有時代 | 現代中国 |
|---|---|---|
| 旧市街: | ||
| (不明) | 旅順市役所 | |新瑪特スーパー右の商業ビル |
| (不明) | 旅順民生署 | 海軍試験試航招待所 |
| (なし) | 朝鮮銀行旅順支店 | 中国工商銀行旅順支店 |
| (なし) | 旅順第一小学校 | 海軍施設(長江路南三巷から左へ) |
| 赤十字病院 | 旅順病院・医学専門学校 | |海軍施設(北口に旅順口区医院) |
| (なし) | 関東高等法院 | 関東高等法院遺址(旅順口区医院内) |
| 旅順監獄(もともと灰色レンガ作り) | 旅順監獄(赤レンガ作りで拡大) | 日ロ監獄(反帝国主義教育施設) |
| (なし) | デンマーク・ルーテル派教会 | 基督教旅順礼拝堂 |
| (なし) | 表忠塔 | 白玉塔 |
| (なし) | 朝日広場 | 友誼公園 |
| 新市街: | ||
| (不明) | 日本橋(龍河にかかる) | 解放橋 |
| ロシア海兵団 | 旅順工科大学 | 海軍四〇六医院 |
| (不明) | 旅順高等学校 | 海軍施設(司令部) |
| ドイツ豪商のデパート | 旅順(第一)中学校 | 海軍施設(斯達林路58号) |
| 狙撃兵第十連隊下士集会所 | 旅順第二小学校 | 大連市五十六中学 |
| ロシアへ帰化した巨商記鳳台の商店 | 旅順ヤマトホテル | 1F商店・2F旅館 |
| (不明) | 旅順高等向学堂・第二中学校 | (建物はあるが使用せず) |
| 写真屋・市役所・ロシア料理店 | 旅順高等女学校 | 海軍関係者のマンション群 |
| (不明) | 児玉グラウンド | 軍港に接したグラウンド |
| (不明) | 後楽園 | 旅順博物館苑区の公園 |
資料:「旅順工大90年史」の「露治時代の旅順(抜粋)」に引用された「露治時代の旅順」(旅順図書館、1936)などから。なお、旅順口区政府(区役所)は2005年に郭水公路(北郊外、郭家村~水師営)へ移転した。海軍施設は設備名称は書いてないが、分かっているものは書いた。
関連記事
フィンランドのトゥルク(フィンランドの旧首都)には、ポート・アーサーという地区がある。
日露戦争当時、フィンランドはロシア皇帝が統治するフィンランド大公国であり、独立(民族運動)の機運が高まっていた。また、日本はフィンランドの独立活動家などへ武器の輸出を行っていた[要出典]。 尚、日本がフィンランド独立の為に武器援助を行った大砲が今でもトゥルクのトゥルク城に展示されている[要出典]。
関連項目
- 旅順要塞
- 旅順要港部
- 満州国・関東州の高等教育機関
外部リンク
- 旅順口区人民政府 (中国語・英語・日本語・韓国語)
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